QRコード
QRCODE
お知らせ
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 5人
プロフィール
洋学

池田痘科家門人

2020年07月11日

 洋学 at 11:19 | Comments(0)
鷗外が資料を集めていた幕府痘科医師池田京水のまとめた『重校痘科弁要』(文政4、1821)に門人録「升堂門生録」が載っている。以前、本書を調査した西巻明彦氏によれば天明8 年(1782)から文化8 年(1811)まで234人の門人が載っているとあるが、本書を調べてみると220人だった。
◆播州出身者が56人と圧倒的に多く、ついで甲州出身者が27人で続くのが大きな特徴。なぜかは今後の研究課題。肥前出身者は島田順碩、西岡健順、芥川祥甫、古賀仲安、谷川元齢、日高元慄の6人、島田、西岡、古賀は佐賀藩医と見える。
◆信州出身者は、堀内桂仙、住山友仙、赤羽俊騰、沢辺升純の4人。堀内桂仙家からは華岡青洲門の堀内玄堂、堀内桂造らが出て、松本藩領での種痘にも関与した。沢辺家は京都小石家門人沢辺升朔、沢辺雄二郎が出ている。沢辺升純との関係は不明。住山友仙の関係では華岡青洲門の住山友賢がいる(青木歳幸『在村蘭学の研究』)
◆泉州の大和見水が門人として記載されていた。伊良子流外科医で、華岡青洲の師である大和見立(1750~1827)の養父である。ただ時期があわないので、大和見立の息子あたりかもしれない。
◆18世紀後半から19世紀前半にかけて、池田流の痘科が我が国の天然痘治療に大きな影響を与えていた。これが天然痘予防の牛痘法が広がることにより、抵抗しているうちにやがて衰退していくのだが、地方においてはどのような動きを見せたのだろうか、今後の課題でもある。



上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。