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近代の種痘規則と相良知安

2024年04月22日

 洋学 at 10:32 | Comments(0) | 医学史 | 科学史 | 洋学 | 地域史 | 日本史 | 医学史
◆近代の種痘と医制
◆佐賀藩が全国に先駆けて、牛痘種痘の接種に成功したことはよく知られている。しかも好生館で全領内へ組織的な接種を無料で実施したことも、青木歳幸「牛痘伝来再考」・「佐賀藩の種痘」(『天然痘との闘い 九州の種痘』、岩田書院、2018)などで詳細に明らかになった。
◆今回、佐賀医学史会報185号に、南里早智子さんが調査解読した種痘医の島田良意の履歴書を掲載するにあたり、種痘規則について整理してみた。
◆佐賀藩が嘉永2年(1849)に、全国にさきがけて、天然痘予防の種痘実施に成功し、全国へ分苗するとともに、好生館が主導して領内全域へ無料で組織的に実施した。
◆明治時代になっても種痘を組織的に全国で実施する必要性があったので、佐賀藩好生館出身の相良知安(医学校取調掛、のち大学東校校長)は、大学東校時代の明治3年(1870)に「大学東校種痘館規則」を制定し、種痘を行う者は必ず大学東校に入校して種痘技術を習得することとした。
◆しかし、これは全国に広がっていたという無数の種痘医たちの実情と彼らの生活を無視した内容だったので、翌年「種痘局規則」を制定し、従来の種痘医は、師家より習熟の証書を得て、履歴書に添えて地方役所に提出すれば免状を与えるとした。
◆この方針は、相良知安起草の「医制略則」(明治6年ごろ)第36章(条)に「天然痘病理治方ノ概略及ヒ牛痘ノ性状種法ヲ心得タルモノヲ検シ種痘免状ヲ与ヘ施術ヲ許す〔牛痘種法条例別冊アリ〕」となり、長与専斎公布の「医制」(明治7年8月18日公布)第37条の「種痘ハ天然痘病理治方ノ概略及ヒ牛痘ノ性状種法ヲ心得タル者ヲ撿シ仮免状ヲ与ヘテ施術ヲ許ス」にそのまま受け継がれた。
◆この方針は明治9年(1876)の「種痘医規則」にも受け継がれ、医師とは別に、種痘医という身分と開業が確保されるとともに、種痘に関する法制も相良知安が構想した明治3年の「種痘規則」に基づいて全国的に広がったのだった。種痘という観点からも、佐賀藩の影響が、医制に強くあったことが理解できよう。


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