QRコード
QRCODE
お知らせ
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 5人
プロフィール
洋学

7月11日の記事

2020年07月11日

 洋学 at 11:22 | Comments(0)
本日(7月9日)の佐賀新聞論説。「古賀穀堂遺稿」刊行と題して近世史料第8編第5巻の紹介。論者の古賀史生さんは、この本のもとになった穀堂資料の多くは、森鷗外が東京博物館総長のときに買い集め、92冊の遺稿の半数近くの表紙に自ら書き込みをしているほど、鷗外が古賀穀堂に深く共鳴していたことを紹介している。
◆また本書からは、穀堂がめざしたリーダー像は米沢藩主上杉鷹山であり、幼い鍋島直正をどのように鷹山のようなリーダーにしていこうとしたかも見えてくると記す。
◆鷗外は福山藩儒者の史伝も手がけ、古賀穀堂も登場させているほど、穀堂に共感し、彼がもう少し生きていたら穀堂伝も書いたかもしれない。史料集そのものは漢文なのだが、つい読みたくさせる書評的論説である。問い合わせ・注文は佐賀県立図書館郷土資料室(0952-24-2900)まで。
◆鷗外は、幕府種痘科医師の池田京水にも深く関心をもち、多くの史料を集めていた。京水は、池田痘科を開いた池田瑞仙の養子となった池田瑞英の号で、天然痘予防の牛痘法が伝来し普及されるまでは、池田京水らの治痘法が我が国天然痘治療の代表的な方法で、門人も多くいた。
◆鷗外は、ほかにも伊沢蘭軒、渋江抽斎など儒者や医師の伝記を書いたが、それぞれそこにどのような人間と時代像を描き出そうとしていたのだろうか。今日は鷗外の命日でもある。



上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。