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洋学

丸亀の種痘医 河田雄禎

2018年11月10日

 洋学 at 00:09 | Comments(0) | 医学史 | 科学史 | 漢方医学 | 洋学 | 文化史 | 地域史 | 日本史 | 蘭学
◆今日は丸亀の種痘医河田雄禎墓碑調査。丸亀駅についてレンタカーで浄土宗寿覚院へ。墓地内を探索させていただくと、見付かった。墓には雄禎でなく河田宅治とある。
◆碑文を読むと緒方洪庵門人で、洪庵から牛痘を分けてもらって、嘉永3年2月に讃岐で最初の種痘をした人物であることなどが書いてあった。
◆墓碑が新しくなっていたので、もしかして御子孫が健在なのだろうかと思い、御子孫の河田さんの住所を住職さんをお尋ねしたら、連絡をとってみますとのこと。連絡がきたら、また丸亀に調査にこなくては。それはそれで新しい資料が見付かる可能性があるので楽しみではある。
◆ちょっと古い『香川の郷土の人物』の図書記事によれば、河田雄禎宅治の旧医院は、吉田病院の近くにあるという。その記事をたよりに、初めて丸亀市内を歩いてみた。しかし、吉田病院は大きな病院ですぐわかったが、どうにも河田医院の痕跡がない。近くの古い御菓子屋さんに入って聞いたら。図書の記事の吉田病院は吉田病院のケアハウスになっていて、現在建っている大きな吉田病院のところが旧河田医院だったという。
◆というわけで旧河田医院跡を確認したあとは、一路、徳島へ。明日午前中に徳島で関関斎と井上不鳴という医師の調査をしてから高知へ向かう予定。関寛斎は知る人ぞ知る有名人だが、井上不鳴は不鳴だけにほとんど不明。


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