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洋学

『ハンセン病【日本と世界】』

2016年02月21日

 洋学 at 18:30 | Comments(0) | 医学史 | 書評
『ハンセン病【日本と世界】』
◆『ハンセン病【日本と世界】』(ハンセン病フォーラム編、工作舎・2500+税、2016年2月10日)を廣川和花さんから戴きました。感謝です。本書はハンセン病問題に取り組むさまざまな人たちからの論集・対談からなっており、読みやすいです。
◆認識をあらたにした2つの文章を紹介します。扉表紙には次のような文章があります。「表にでてこないだけで、誰もがハンセン病の菌は持っている。にもかかわらず病者を差別する。なぜ人間はそうなってしまうのかと考えると、やはり人間は、性善説で解釈できる存在ではないのでしょう。戦争をしてしまう暴力衝動、あるいは嫉妬などと同じように、差別をする心が人間の中にはある。それを解決していくのは、生きとし生けるものの中で人間だけが持つ理性による力なのです。理性が働かなければ、差別の心は永遠に治癒されないでしょう。ハンセン病は「人間とは何か」という非常に深い問題を問い詰めている病気なんです」(笹川陽平)。◆「誰もがハンセン病の菌は持っている」という言葉は衝撃的です。この発言をした笹川陽平氏は、日本財団会長であり、1月31日を世界ハンセン病の日として、ハンセン病に対する差別の問題を世界に訴える「グローバル・アピール」を発表するなど、ハンセン病問題に世界各地で積極的に取り組んでいます。◆この笹川さんがなぜ、ハンセン病に取り組んだのか、そのきっかけは、韓国でのハンセン病患者の惨状を知った美智子妃が当時の金川政英韓国大使になんとかならないかと相談し、金川氏が笹川良一氏を訪ね、韓国に病院を作っていただきたいと協力を要請したことがありました。笹川良一氏は、さっそく韓国でのハンセン病患者の施設と病院を設立します。その開所式に随行した笹川陽平氏は、そのときの父の様子を対談で次のように語っています。聞き手は作家の高川文彦氏(ハンセン病文学者北條民雄の評伝『火花』の著者)です。◆「私はその開所式に同行したわけです。青い病衣でベッドに横たわっている人もいれば、ベッドの上で韓国式の立て膝をついている人もいる。血の気がなく表情もない蝋人形のようでした。絶望の極みという印象でした。そんな中、私の父は平気で患者たちの膿のしみ出した足を触るし、ハグもして、「夢と希望を持って生きてくださいよ」と声を掛ける。「いや、すごいことをやっているな」と思いました。私は近寄ることもできません。遠くから表情を見ているだけです。ほとんどの患者は、父のスキンシップを受けても、まったく表情が変わらない。(中略)患者の症状にもショックを受けましたが、父の患者たちへのあの振る舞い方にも衝撃を受けたわけです。いわゆる膿臭が強いのですが、父があの特殊な匂いにも平然として、普通に接していたのには驚きました。」◆笹川陽平氏は、この体験以後、ハンセン病患者の治療・制圧や人権活動などに深く関わっていくことになったのです。笹川良一氏は、A級戦犯容疑者でもあり、陽平氏もまたその子どもとして日本の黒幕というような評価をうけていましたが、このエピソードをみると、無知が偏見と差別を生む大きな要因であるとも感じました。◆廣川氏は草津温泉の湯之沢部落へ治療をもとめてやってきた患者のつくる社会と周辺住民との種々の「共生」の姿を描いています。現在、ハンセン病制圧にむけ、この日本財団をはじめとして、各地で多くの人が取り組みをすすめています。ぜひ読んでもらいたい本として紹介しました。


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