鐘ヶ江晴朝
青山霊園と佐賀藩4 鐘ヶ江晴朝
◆青山霊園へでかけたのは、鐘ヶ江晴朝のお墓を見たかったこともある。鐘ヶ江晴朝といっても知らない人がほとんどだろう。じつは、日本で最初に海水浴場を開いた佐賀出身の医師なのである。鐘ヶ江晴朝についての研究は、末岡暁美さんが長年研究されていて、そのブログ、たとえばhttp://sueoka-saga.jp/hagakure/76harutomo.htmlなどに、蘭方医と海水浴、あるいは鐘ヶ江晴朝について詳しい話が載っているので、ご覧いただきたい。
◆従来、我が国最初の海水浴場は、明治18年(1885)に軍医統監松本順(良順)が大磯を海水浴の適地として紹介したので、ここが最初の海水浴場とされてきて、いまなお、大磯海岸には、日本の海水浴場発祥の地の碑や、松本順先生謝恩の碑まで建っている。
◆じつは、早さでいえば、倉敷市の沙美海水浴場が、明治13年(1880)に海水浴場を開いている。坂田待園(1835 - 1890)という医師が、健康向上の手段として海水浴に注目し、それを受けて当時の村長(吉田親之)が海水浴場を開いた。これが大磯海岸より早い。
◆いやいや、もっと早い時期に海水浴場をつくったのが佐賀藩出身医師鐘ヶ江晴朝だった。 東京都公文書館の文書に、鐘ヶ江晴朝が申請した明治10年12月19日付「芝浦海水浴」開設のための「地所拝借願」があり、翌明治11年9月15日に、芝浦海水浴場が開場している。晴朝は、その後もリウマチ治療などに海水浴を利用したり、この運営にもあたっていた。
◆というわけで、鐘ヶ江晴朝のお墓を探していたのだが、今回は時間がなくて見つけられなかったので、また次回行ったときに探してみたい。鐘ヶ江晴朝については、『佐賀医人伝』にも末岡さんが研究成果を発表してくれるので、お楽しみに。
◆写真は大磯海岸にある日本最初の海水浴場の碑、次が大磯海岸にある松本順謝恩碑、岡山の海水浴場を提案した医師坂田待園。佐賀の『医業免札姓名簿』にみる鐘ヶ江晴朝。
◆青山霊園へでかけたのは、鐘ヶ江晴朝のお墓を見たかったこともある。鐘ヶ江晴朝といっても知らない人がほとんどだろう。じつは、日本で最初に海水浴場を開いた佐賀出身の医師なのである。鐘ヶ江晴朝についての研究は、末岡暁美さんが長年研究されていて、そのブログ、たとえばhttp://sueoka-saga.jp/hagakure/76harutomo.htmlなどに、蘭方医と海水浴、あるいは鐘ヶ江晴朝について詳しい話が載っているので、ご覧いただきたい。
◆従来、我が国最初の海水浴場は、明治18年(1885)に軍医統監松本順(良順)が大磯を海水浴の適地として紹介したので、ここが最初の海水浴場とされてきて、いまなお、大磯海岸には、日本の海水浴場発祥の地の碑や、松本順先生謝恩の碑まで建っている。
◆じつは、早さでいえば、倉敷市の沙美海水浴場が、明治13年(1880)に海水浴場を開いている。坂田待園(1835 - 1890)という医師が、健康向上の手段として海水浴に注目し、それを受けて当時の村長(吉田親之)が海水浴場を開いた。これが大磯海岸より早い。
◆いやいや、もっと早い時期に海水浴場をつくったのが佐賀藩出身医師鐘ヶ江晴朝だった。 東京都公文書館の文書に、鐘ヶ江晴朝が申請した明治10年12月19日付「芝浦海水浴」開設のための「地所拝借願」があり、翌明治11年9月15日に、芝浦海水浴場が開場している。晴朝は、その後もリウマチ治療などに海水浴を利用したり、この運営にもあたっていた。
◆というわけで、鐘ヶ江晴朝のお墓を探していたのだが、今回は時間がなくて見つけられなかったので、また次回行ったときに探してみたい。鐘ヶ江晴朝については、『佐賀医人伝』にも末岡さんが研究成果を発表してくれるので、お楽しみに。
◆写真は大磯海岸にある日本最初の海水浴場の碑、次が大磯海岸にある松本順謝恩碑、岡山の海水浴場を提案した医師坂田待園。佐賀の『医業免札姓名簿』にみる鐘ヶ江晴朝。